「あまい」

というのは、私の母方の祖父母の口癖だ。
方言だと思っていたがどうも違う。出身だった長井市でも、山形市でも、使っている人を未だ見たことが無い。

祖父母の言う「あまい」は、「これ食べてもいい?」→「あまい」という様に、「いいよ」という許可の言葉だ。私を含めて8人の孫に恵まれた祖父母は、常に孫達の世話にあけくれ、こんなやり取りをひたすら繰り返して来た。
きっと、容易い、という意味が許可に転じた言葉なのだと思う。

祖父の「あまい」は太陽のように明るい力強いもので、祖母のそれは穏やかでやさしい響きだった。

「あまいよ」

「あまいあまい」

聞かなくなって、随分時が経ってしまった。

その祖母がつい先日逝った。

安らかでは決してなかった。
苦しんで苦しんで、つらいまま死んだ。
意識でも無ければまだ楽だったのだろうけれど、祖母の目はずっとキラキラしていて、私の動きを目で追ったり、かすかに笑って見えたこともあった。故に苦しんでいるのも、痛みに耐えているのも目に見えてわかった。

それでも、祖母の死に顔は穏やかできれいだった。

元は事業家の娘として不自由無く育ち、往来の性格と育ちの良さもあって、随分おっとりした人だった。
後で知ったことだが、祖母は産まれた時から片目の視力が弱く、殆ど見えていなかったという。産まれた時からそうだったので、女学校で視力検査をするまで本人も家族も気づかなかったそうだ。お嬢様でドジッ子な天然、ヒロイン属性ばっちり。鳶色の、色素の薄い外国人の様な瞳の色を、幼かった私はしきりに羨んだ。
指物職人だった祖父と結婚し、3人の子育てに明け暮れた。職人の稼ぎではそう楽な生活はできなかったが、子供はみんな立派に育った。

私が高校生の頃に、祖父が亡くなった。
この頃、私にとって祖父母は「おじいちゃんとおばあちゃん」でしかなく、それ以前に一人の男と女だったことを考えもしなかった。祖父の亡骸にすがって泣いている祖母を見てひどく驚いたのを今でも覚えている。私の知らない、たくさんの時間とドラマがあったことを、祖母の背中を見て思い知らされた。ますます悲しくなって、棒立ちになって泣いた。

晩年はつらいことも多く、私だったら殺人事件の二件や三件も起こしそうな理不尽な目にあっても、黙って耐えて、一人で泣いていた。
とうとう体が弱り、自分のことも何もできなくなってしまっていても、頭だけはしっかりしていたので、苦しいことを忘れることもできないまま、年だけを重ねていった。
それは、どんな境地だったろうか。

自分がこれから死ぬんだと思い知らされながら、苦しくても死ねない一ヶ月近い看取りの日々。

本当にがんばったね、つらかったね、と、仏様になった祖母に声をかけた。

ずっとずっとお幸せに。私の大好きなばあちゃん。
じいちゃんによろしく言っててな、と頼んだら、「あまい」と返事をしてくれそうな、紅を引いた小さな唇からは、やっぱり、返事は来なかった。

じいちゃんは心配性だから、速攻でばあちゃんを迎えに来たんだろうな。

本当にお幸せに。
末永く、お幸せに。